わたしはコードはわりと毎日書いている気がする……仕事では(趣味ではとても毎日は続かない)。といってもべつにgithubを使っているわけじゃないから草が生えるわけでもないし、そういう可視化を励みにしているというわけでもない(むかし、Chromiumコードベース全体のコミット数ランキングの社内ダッシュボードみたいのがあったことがあり、そこではそこそこ上位になっていて嬉しかったということはある)。ただ、どっちかというと自分の趣味嗜好のようなものとして、結果的にそうなっているという方が近い気がする。
もちろんコードを書く=コミットをマージするというわけでもない(コードレビューなどのプロセスもるから)し、実際には本当に文字通り毎日というわけでもないだろう。ずーっとデバッグだけして何も成果がないときもあるし。でも実際に自分のコードレビュー履歴 を見てみると、まあまあそれなりにちょこちょこ書いていることが多い気がする。
ただ、仕事においてWCEDがいいかというと、現実的になって振り返るとデメリットのほうが大きいとは思う。細かい雑用みたいな小さな仕事に手を付けがちで、大きな問題を放置してしまいがちになってしまう。もりたさんの書くような、雑用がみるみるうちに片付いてやることがなくなってしまった、なんていうのはある意味成功事例かな、という気がする。無限に雑用が湧いてくるようなタイプのプロジェクトの場合、いつまでたっても細かい雑用しかせず、結果的に大した成果もないし出世もしない、みたいな話になりがちなのがいちばん危なくて、バランスを取る必要がある。
もちろんプロジェクトのフェーズによっては、難しい問題について考えたり、考えをドキュメントにまとめたり、他人のドキュメントやコードをレビューすることで忙しくなってしまう、ということはある。それでも自分の場合は、他人にレビューコメントを送って返事がくるまでの間に細かいバグを直したり、みたいにしてコードを書く時間を設けていることが多いかなと思う。そのままバグの分析に熱中してしまってメインの大きな仕事がおろそかになってしまうことも、まああるのだけど……。
やっぱり個人的にはWCEDは自分の精神の安定性とか、満足度とか、楽しさとかのためにあるように思っている。小さな成果が積み重なっていく感じがあって満足度も高いし、ちょっとした達成感もある。ただやりたいのでやっているというぐらい。いってみれば趣味というようなものなので、そちらに行きすぎないようにうまくバランスをとらないといけないのだろう。あんまり自分がバランス取れている気もしないので、そこは大きな問題な気もする。
少し話はそれるけど、10年ほど前の上司の上司がdirectorに昇進したとき(directorっていうのは日本語だとなんなんだろう、部長、ぐらい?)、俺はdirectorになるけどコードは書くぜ!といった意気込みを示したことがあった。それからしばらくしたある日、私がちょっと遅い時間に仕事をしているとそのdirectorが私の席までやってきて、真剣な顔でちょっといいか、ききたいことがあるんだが……と言う。これはやばい話かもしれない、と戦々恐々としつつdirectorの席までついていくと、画面にeclipseが開いてあって「この関数をテストしたいんだけどさ……」というのであった(その部分は自分は詳しくなかったのであんまりきちんと答えられなかった。残念)。このdirectorは、その後更に出世したしさすがに今ではコードは書く時間もないだろうけれど、当時でもめちゃくちゃ忙しかったであろう合間をぬってでも細かい雑用みたいなコード書いていたのだった。これは偉いというかすごいと思った。が、今思えばあれはなんというか、この話と似たような趣味的な活動だったのかもしれない。every dayでないにせよ、定期的にコードを書いていたいというような。まあそれでいてその人は出世できてるんだからやっぱりすごい偉いという話でもあるんだが。