インフォーマルなもの、書いていないなあ。
Design Docs の話のあとだと自分の書いているものを “Design Docs” とは言いにくいのですが、そういうフォーマルなものはそこそこ書いている。チケットが起点の調べものはチケットに書いていて、「これ読んでおいて」的なものはコードレビューでリンクを貼ることが多い。自分専用の雑多なメモとか TODO は、Quip という Google Docs みたいなものが社内で使えるので、それに書いたり、ローカルのテキストファイルに書いたりしている。エッセイは全然書いていない。
ちなみに、こういったインフォーマルな書き物をインターネットの人々が「ポエム」と呼ぶに至った経緯に関しては、昔に自分のブログに書きました。
私もミクシィで働いていたころは、Confluence のブログ機能を使って何か書いたりしていた記憶があって、あれは悪くなかった。morrita さんが以前に書いていた Tateno Culture も、はてなグループが起点だし、ミクシィも当時は人々が日記を書くサイトだった。そういう会社に集まる人々は、自分の考えを文章にまとめて、他人の読めるところに置いておくけれど、とりわけ「読んでね」と促すわけでもない、という行為と相性が良かったのかもしれない。
ただ、思いかえすと、これって「読んでね」と言わないことでどこかにエクスキューズを確保した、必要以上にインターネット的なコミュニケーションのとりかただったなあとも思う。社内なんだからもっと間合いを詰めても良かった。Slack の分報チャンネル (2005) にも同じような気持ちがある。読んでほしいことがあったら、チームの Slack チャンネルなりメーリングリストに送ればいいのでは? 気楽に書けるのが良いのはわかるけれど、私は気楽に書いたものはそこまで読みたくなくて、でもそれを明示してしまうと色々と角がたつのでちょっと…
そういったわけで、ここ数年は、読んで欲しいものは「読んでね」と明言して、それなりに気合を入れて書く生活を送っている。行間とか空気を読んでもらうことを期待するより、書いてあることを読んでもらったほうが良い。また、shinh さんが冒頭で書いている
スタートアップの社内プロジェクトの場合、読み手が少ないのでフォーマルなドキュメントを書くコストはペイしにくいと思っています
と、逆向きの力が大企業だと働いていて、フォーマルな文章を書くコストはペイしてしまいがち、というのもある。
一方で、皆さんの話を読むと、自分が書き損ねているものについてはちょっと考えてしまう。自分の頭の中だけにあって、本当はちゃんとした文章にするべきだけど、とりあえず雑なかたちでもチームで共有するだけでも何かが改善できそうな情報、いくつかあるような気がするなあ。