皆さんはじめまして。ゲストとして呼ばれた、secondlife です。Tateno Culture といった形で以前森田さんが書いていたが、あれは Tateno Culture というよりは Hatena Culture の話だと思っています。なので、今回はインフォーマルな文章という主題とはずれるかもしれませんが、自分はなぜそんな感じの文章を書いていたのか、というのを当時のはてな時代を振り返り書いてみようと思います。
はてな社に居た当時、これが皆さんの想定するインフォーマルな文章かはさておき、さまざまな社内向け文章を社内の全員、とは言わないまでも、7-8割の人がけっこう書いていた。
自分もしょっちゅう書いていたのだけど、なぜ書いていたのかを今更考えると、それはひとえに『楽しかったから』だった。
なぜ楽しかったのか
当時は2006年頭、自分は15人目の社員として会社にジョインした。入社すると hatenawiki なるはてなグループ(今で言う Qiita::Team や Esa、Kibela といった、Wiki と Blog が融合したようなサービス)に、エンジニア非エンジニア関係なく、ありとあらゆる様々な文章が投稿されていた。
サービスの思想や考え方、会社組織のあり方、人事評価、各種収益、新規サーバ構築方法、お菓子やジュース補充、といった会社全体の話から、日々の社内日記のような話題、新しくできた近くの店の定食が美味しかっただの、モンハン面白いから夜みんなぜやろうぜだの、この言語ならこの実装がこんなにきれいに書ける、などなど、制限など特に無く良くも悪くもありとあらゆる情報で溢れていた。取締役会の生音声なども公開されていて、具体的な年収といった個人の機微情報以外、ほとんどが公開されていたんじゃなかろうか。
そんな場だったので、入社したばかりの人も最初は戸惑いつつも、徐々に書くことに慣れ、みんな当たり前のように文章を書いて公開していってた。自分もその一人で、新規サービスの話だったり、全社で導入する新しい開発手法だったり、細かい技術Tipsだったり、サービスの批評だったり、ただの日記だったり、とりとめもなく様々なことを書いていた。全社での情報共有が~とか生産性が~など仕事としての価値向上を考えて書くというより、自分はただ楽しかったから書いていたのだと思う。
なぜ楽しかったのか。いくつかの要素に分解して考えてみる。
ポエムの読み書き
ベンチャー初期において、何を目指してるのか、どんな世界にしたいのかというポエムというのは思想・カルチャーを作る上でも重要で、それを偉い人が発信する、それを読むだけでも楽しかった。
これは共有の場(はてなグループ)自体を毎日見ることにもつながっている。
限られた技術コンテキスト
技術関連の文章の場合、ほぼ全員がその技術を理解できるという、当時の技術コンテキストの狭さがあった。言語は Perl, JavaScript、RDB は MySQL、Linuxチョット、エディタは Vim か Emacs あたりが仕事で構成される技術の殆ど。Web アプリケーションは DB に CRUD して、HTMLに整形して出力するがほとんどの責務。今のように汎用化された様々な技術を目的や状況に応じて選択できる時代ではなかったので、話題の範囲が狭い。
つまるところ、みんながみんな理解できるネタで話せるので、他人の技術文章を理解しやすい、自分が書いた文章もほとんどの人が理解できる状況が生まれていた。そのため場の話を理解しやすい、理解してもらいやすかった。
適度なフィードバック
書いた文章に全く反応(フィードバック)がないとつまらない。もちろん仕事のためのドキュメンテーションは反応を期待して、というよりは後の自分や組織のために書くのでそれは別なのだけど、情報発信するモチベーションは殆どの場合、なんらか期待される反応とセットだ。
期待される反応はコメントやはてなスター(likeのようなもの)もあったが、何より大きかったのが「トラックバック」だったと思う。トラックバックは、文章内で URL を記載するとURL先のWikiやBlogの記事に、この文章から言及されてるというリンクが付く。
このトラックバックのちょうどよい距離感。パーソナルスペースである、自分が主体的に書いたWikiや自分がオーナーのblogから、相手のパーソナルスペースをほとんど汚さない形で通知し合うことができる。blog(他人) / wiki(共有) / blog(自分) と別れてはいるが、相互にゆるいつながりを生むことができる。
ポエム的な記事であれば自分もそれに対して共感や批評を書けるし、技術的なドキュメントや Tips であれば、それに対しての別の手法だったり Emacs の話に対してそれ Vim ならこうやれるよ、といったような返しなども、コメントというその記事スレッドに閉じられた空間ではなく、自分のblog記事として書くことができる。
また、今で言うメンションも id トラックバックという機能で実装されていたため、特定の人の話を聞きたい、みたいな記事も気軽に書くことが出来た。
この辺の適度なフィードバックがしょっちゅう行われていたため、なにか情報発信をすると、より良い意見、様々な意見が貰え、さらに何か書こうという楽しさが発生していた。id トラックバックも、ゆるく「話してよ」というのが伝わるため、あまり情報発信しない人でも定期的に発信が行われ、全員参加して場を作る、という一体感が生まれていたのだと思う。
小さな組織
自分が居たときは十数人〜40人程度の小さな組織だったため、全員が技術に限らず様々なコンテキストを共有しやすかったことも挙げられるだろう。また小さな組織だと、誰がなんのプロフェッショナルでどんなことをしているのかが解りやすく、そのため信頼関係を積みやすく、相互理解もしやすい。
なぜ楽しかったのか・まとめ
だらーっと色々書いてみたけど、まとめると読み応えがある文章が発信され、技術的に理解でき、統一された情報共有の場で適度なフィードバックが得られ、組織コンテキストが共有された信頼関係のある人達と働いている、といった様々な要素が組み合わされて総合的に楽しかったのだろう。これらの項目はお互いに相乗効果を生んでいた。そんな場自体が楽しかったので、自分もその場にのみ込まれる形で、楽しくインフォーマルな文章を書いていたのだ。
どんどん歳を取るにつれて、純粋に「楽しいから」インフォーマルな文章を書くということはなくなってしまった。組織作りの際にも「楽しいから」という項目は、生産性や目的達成といったもの比べるとどうしても優先順位を低く置きがちだ。昔を思い出すと、楽しいことも生産性や目的達成に通じていたなと改めて思ったので、今後また組織作りと情報発信に関わるとしたら、根源的な楽しさという視点からも、情報発信やインフォーマルな文章を書くことについて考えていきたいなぁ。