自分もかずよしさんと同じで、助言とか説教とかあんまり覚えていない。たぶん中二病で天邪鬼だから他のひとのいうことを聞きたくないのだと思う。好みにあわない説教は目がスルーする修正があるので記憶に残らない。アドバイスに一応従ってみている有野さん(若いバージョン)偉いね。
などといいつつ割と権威主義な人間でもあるので、本とかは割と真に受けたり影響を受けたものもある気がする。たとえば「スーパーエンジニアへの道」という古い本がある。 原題は Becoming a Technical Leader で、1986 年版。どういうきっかけでよんだのか忘れたけど(古の記録によると会社に置いてあったらしい)、二十台とかの若い頃に読んで、少しは影響をうけたか、少なくとも印象には残っておいる。その後も何度か繰り返し読んだ。(なお別に本書をお勧めしているわけではない。似たような題材のモダンな本も色々あるだろうし。)
(Not) Becoming A Technical Leader
これを書いたのはワインバーグという技術コンサルタントとして名を馳せた故人で、これもそういう方向性の本である。つまり、自分の知見や洞察をいかにスケールするかという話が主眼。いかにもリーダーシップの本。若き自分はこういうのを読んで、自分もキャリアを進めるにあたりテクニカルなスキルだけでなくこういうリーダーシップスキルも高め、アーキテクトとかそういうかっこいい何かになるに違いないと疑いなく思っていた。
でも 20 年弱くらいして我が身を顧みると、リーダーシップ全然ない。若者の育成とかしてないし、特段やりたくもないし、コードも委譲とかせずなるべく自分で書きたいし、戦略的判断とか一ミリも下してないし、他人や組織に影響とか与えてない。与えずに済むなら与えたくもない。
自分は勤務先ではいちおう最低限のリーダーシップが求められるはずの階級にいるけれど、そこは先人たちが開発した様々なリーダーシップ拡大解釈技法を駆使して体面を保っている。でも本音としてはミーティングをさぼりがちな英語の出来ないアジアン中年にリーダーシップを期待しないでいただきたいッと思っている。この内心はしばしば漏れ出て上司にバレているが、他の頑張りと引き換えに見逃してもらっている(と信じている)。
出世のしなさとしたさ
こういうことをいってると当然出世はしない。でも最近、クソ高い家賃の心配に加え子供の学費や NVIDIA の GPU やソニーのミラーレスが気になり(これを同列に並べるべきでないのは存じておりますのでそっとしておいてください)給料あげたいな、もうちょっと出世とかがんばった方がいいのかな、などと思って “Staff Engineer” という本を読んでみた。これは自分のような出世したいヒラプログラマに向けて先のワインバーグの本を現代の文脈で書き直したような、見も蓋もないことを言うとダイヤモンド社刊っぽい本。
先の本を読むのがめんどくさい人は、少し前に Dropbox が公開したソフトウェアエンジニアの出世目安文書が手短で参考になるだろう。Staff Software Engineer のセクションあたりを参考にされたし。ある程度以上の規模のテック企業は公開せずともどこも似たような文書を保守していて、内容も似たようなもの。
読んでみると、なるほどこういう頑張りで出世できるのね、たしかに勤務先の給料いっぱいもらってそうな人たちこういう仕事してる気がするね、とそれなりに説得力を感じた一方、自分にとってこの出世ってやつは給料が上がって偉そうにできる以外あまりいいことなさそうだな…という思いが強くなってしまった。リーダーシップに伴う金と名声と引き換えにヒラプログラマとしての気楽な立場を失うことに、改めて抵抗がある。(勤務先の偉い人が金と名声だけを追い求めていると主張するものではありません。出世できない人のすっぱりぶどうビューとして眉唾のうえお読みください。)影響力も戦略的判断もしなくていいから、責任の重圧と沢山のミーティングやドキュメント書きもなくていいです・・・GPU やフルサイズのミラーレスは我慢します親としての責任感についてのコメントは控えさせていただきます・・・とか思ってしまう。先の Dropbox の文書も “I deliver multi-year, multi-team product or platform goals” だとか “When necessary, I am able to introduce change into the organization, help others understand the business case for change, and create excitement to drive adoption of the change” などミラーレスへの道の険しさを物語っている。
影響力とハンズオンのトレードオフについては 30 年以上前に書かれたワインバーグの本でも議論されており、普遍的な出世の壁だとわかる。出世してる人はちゃんと乗り越えてて偉い。
正しさを定義する助言
いちおう勤務先のことを擁護しておくと、ほんとにすごいプログラマはカレンダーをミーティングで埋めなくてもコードが物を言うおかげで割と出世できる。ただしそれは少数派。程度の差はあれテクニカルなスキルをリーダーシップスキルで掛け算する方が普通。自分はそこそまともなプログララマだとは自負しているが、すごいプログラマとはいえない。実績もそれを裏付けている。だからリーダーシップの面倒くささをひきとらないと給料があがらない。
そしてここで我に返る: プログラミングスキルを高めてすごいプログラマを目指そうとなぜ思えないのだろう。リーダーシップの方が現実的ってほんとなのだろうか。もっというと、それは自分が望んでいるものなのか。
昔の自分はすごいプログラマになりたかった。でもこの「すごいプログラマ」のイメージは長いこと曖昧で、その曖昧さは「アーキテクトとかそういうかっこいい何か」だった。つまりコードをガリガリ書くプログラマというより、もうちょっとリーダーシップぽい何かを含んでいた。一方、自分のまわりにはリーダーシップ業を遠ざけつつコードを書き倒す「すごいプログラマ」も一定数いる。それが架空の存在でないことはわかっている。そしてリーダーシップ勢より彼らすごプロの方が楽しそうにやってる。
でもなぜかリーダーシップの方が重要という印象をを自分の中に育て続けてしまった。
このイメージは積極的に獲得したものというより、それまでに摂取したナラティブの積み重ねから出来ていると思う。先のワインバーグの本もそうした言説の一部。どうも現実の自分は違うなと気付いた後も言説摂取の偏りを補正しきれず、ここ数年の読書記録を見ると (2019, 2018, 2017, 2016) 技術書よりビジネス書(すなわちリーダーシップ読みもの)の方が多い。今や自分の主要な読書メディアとなった Audible に技術書がないという事実を差し引いてももうちょっとなんとかならないかと思う。Essential Drucker とか読んでる場合じゃない。
一歩さがると、ここでは助言・・・自分の場合はリーダーシップ読みもの・・・が、自分の中の正しさ、価値観を形作っている。そしてこのリーダシップ的価値観は、コードをバリバリ書けるすごいプログラマのかっこよさというもう一つの価値観を覆い隠している。そしてリーダーシップをがんばる気が全然ない今の自分を鑑みるに、このバイアスはいまいち助けになっていない。
助言を選ぶ
以上の個人的すぎる話からもう二三歩下がって、ここでの発見を(若干過剰に)一般化してみたい。
助言は価値観自体に影響を与えることもある
つまり「望ましい何かに至る道」だけでなく「望ましさ」それ自体を定義することがある。これは、助言がかっこいいサクセス・ストーリーとのパッケージで語られる場合によく起こる。誰だってかっこよくサクセスしたい。ストーリーだけでなく、語り手自体のかっこよさにも影響されうる。ファンシーな書斎でコードを書くスーパースターの言うことなら聞きたくなってしまうのが人の性というもの。そしてかっこよさは向き不向きや知的関心といた他の望ましさを過剰に上書きしてしまいがち。
助言は文脈に依存する
十数年前に零細企業で TL っぽく働いていた自分にとってのリーダーシップの重要性と、いま大企業で末端している自分にとってのそれはだいぶ違う。これは「英語よりもまず日本語を勉強すべき」といった有野さんの上司だか先輩だかも同じことが言えるかもしれない。ドキュメントとかをちゃんと上司にホーレンソウして会社の中で出世したい人にとっては重要だが、さっさと外資系に転職したい人には響かない。
助言は時代に紐付いている
自分が学生だった頃、プログラマというのは上級工程というやつに進んでいくことになっていた。上流工程、さすがにリーダーシップないとまずい。そういう風潮はインターネット・スタートアップの隆盛にあわせ弱まっていった。和良さんのいう職業オープンソースもゼロ年代前半、GitHub 以前の昔はじっさい珍しいものだった。今は、フルタイムはともかく仕事でつくったライブラリをオープンソースにするくらいなら割とみんなやってる。
Advice Porn
助言は、有用性とは無関係な気分の良さを伴う場合がある。語り手の気分を良くする助言もあるし(自慢の類)、聞き手の気分を良くする助言もある(ウィットの類)。流行る助言は、この両方を含んでいる。いかにもそれっぽいが、現実や文脈と乖離している助言たち。そういえば Leadership Porn なんて言葉もあるよね。
気に入らない助言の気に入らなさは、語り手と自分の文脈や時代や価値観の不一致から来ているかもしれない。そういうのはイライラせず適当にスルーすればよい。耳障りの良い助言も、表面的なかっこよさや言葉の機知に引きづられているだけかもしれない。ぼんやり消化せず、ちゃんと試して取捨したほうが良いのだろうね。