強く押す、いくつか段階があって
- 「A は X です。お前はバカか?」
- 「A は X です。」
- 「もし間違っていたら教えて欲しいのですが、私が思うに、A は X です。」
1は、会社でやる人はいねーよ、という感じですが、例えば Ulrich Drepper とか昔の Linus Torvalds とか、古のオープンソースソフトウェア開発者には一言多い罵倒表現がキャラクターの一部として受け入れられていた人々がいたと思う。ただ、Linus Torvalds が過去の振る舞いを反省・謝罪し、Linux をはじめとするオープンソースソフトウェアに行動規範が取り入れられた現代では、これはどんなにコードが書けても受け入れられない態度になりつつある。罵倒が好きだった人は他をあたってください。
karino さんが言っているのは2のほうで、世の中には、2はきつすぎるので3がデフォルトの人々もいる。これに関しては、こと社内やチーム内のコミュニケーションについてら私も原則2なので、あんまり「けしからん」と言えない。「もし間違っていたら教えて欲しいのですが、私が思うに」は大前提だし、そもそも長いし、一々書かなくてもよくない?
非ネイティブが考える語気を弱める方法
とはいえ、強い言葉にしたいというよりは簡潔さを重んじているので、ちょっとの努力でソフトになるところは、すこし気をつけてもいる。
例えば、あんまり「あなたが…」というのはキツいかなあと思って「You should」ではなく「We should」「This function should」にしてみたりとか、何かを主張するときは man なりリファレンスマニュアルなり、ソースをきちんと示して、反論ないし確認しやすくするとか、何かシステムコールとかの動作を確認した時はその結果を、していないときは「I haven’t confirmed that though」とか付け足すとか、そういう気は使う。
「It would be great if you could …」とかは、さすがにあまり言わない。グレートもなにも、変更してくれないと承認しないつもりだし、慣用句なのはわかっているけど嘘をついているような気がしてしまう。
ただ、実際のところ私は非ネイティブスピーカーなので、ネイティブの人々がどう受け取っているのかは謎。さらに私のコメントを読んでいる人も非ネイティブスピーカーだったりするので、彼らがネイティブ同様に受け取っているかも謎ではある。
議論がおこらないことが問題である
あと「強い言葉をつかうと、案外通ってしまって困る」というのは「議論がおこらない」という大きな問題の一部で、それが本当に言葉使いのせいで起こっているのかはあやしい。
どんなに語気を弱めても
- あのひとはチーム歴も長いし、彼が言ってるんだから正しいのでは
- 私はここは詳しくないので、彼女の言っていることが正しいのでは
- このプロジェクトは締切も近いし、いまさらひっくり返すようなことを言っては悪いのでは とか、色々な理由で議論を避けてしまうひとはいる。
デザインを文章にまとめて早期に話し合うというのは最後の締切問題には有効だけど、そう思ってレビューすると、こんどはデザインに正統感というか、みんなで話し合って決めた良いデザイン感が出てしまって、それが議論を避ける理由になったりするので難しい。実装してダメだったら、それはダメなデザインですよ…。
仕事に限らず、アドバイスを聞いたり聞かなかったりして中年になった我々に、改めてアドバイスをしたり議論をふっかける人々って減ってきていて、これはどうするべきなのかわからない。インターネットだけならハンドルを捨てて生まれ変わることも出来るし、アメリカの人々はメンターをつけるのが好きなように思う。わたしはどちらもあまり経験がない。